
魚遊寺の名前の由来
お湯になった御濠
『おゆになったほり 〜魚遊寺ものがたり〜』
第1章 しずかな おみどう
むかしむかし、いまの群馬けん前橋の くでんという里に、ちいさな おみどう がありました。田畑に たたずむ そのおみどうには、たいせつに おまつりされた りっぱな おしゃかさま が いらっしゃいました。
この おしゃかさまは、ずっとむかし、じかくたいし(慈覚大師)という えらいおぼうさんが、じぶんで ほって おまつりしたものだといわれています。ひとびとは、その おみどう を たいせつにして、しずかに 手をあわせて おがんでいました。
第2章 ぐんじの おおさわぎ
あるとき、この里に、ぐんじ という くにから にんめいされた えらい 人がやってきました。ぐんじは、おみどうの うつくしさに かんしんしながらも、こんなことを思いつきました。
「このそばに ほり(環濠) をつくって、さかな を はなして、たのしもうではないか!」
ぐんじは たくさんの にんげんを よびあつめて、すぐに おおきな ほり をつくらせました。そして そこに たくさんの さかな を はなしました。
「ほっほっほ、これぞ 天下いちの あそびざんまいじゃ!」
ぐんじは まいにちのように、ほりのほとりで わらいながら すごしていました。おみどうのしずけさは、だんだんと にぎやかな さわぎ に かわっていきました。
第3章 ほりの ふしぎ
ある なつのひ、そらが にわかに くもり、かぜがふきました。すると どうでしょう──ほりの水が
ぐらぐら… ぐらぐら… と わきあがり、やがて ぶくぶく と あわ をたてながら、おゆ に なってしまったのです!
「なんと! おゆ!? こんなばかな……」
ぐんじは びっくりぎょうてん。さかなは うかびあがり、においは くさくなり、ほり は あれはててしまいました。
第4章 ざんげの こころ
ぐんじは たちつくし、やがて くちをふるわせました。
「わたしは たのしみすぎて、たいせつな ほとけのばしょ を けがしてしまった……。これは てんばつ というものかもしれぬ……」
ぐんじは、はだしのまま おみどうへ かけより、すわりこんで おしょうさまに ふかく あたまをさげました。
「どうか……このつみをゆるし、水をもとにもどしてください……」
それをきいた、おしょうさまは、めをとじ、しずかに おきょう を となえはじめました。
第5章 おねがいの ちから
その おきょう は、ふしぎな やさしさに みちていて──やがて、ぐつぐつと にえていた ほりの おゆ は、すこしずつ すずしい みず に かわっていきました。
しーんと しずまりかえった みずのなかで、さかな が ぴちぴちっと およぎはじめました。
「う、うそではない!さかなが いきかえったぞ!」
そのけしきに、ぐんじも、にんげんたちも、ひざまづきました。
「おしゃかさま……ありがたや……」
第6章 しんこうの ちかい
それから ぐんじは こころをいれかえ、さわがず、あそばず、まいにち そっと おまいりをするようになりました。
「この ばしょ を まもりたい。みず も、ほとけ も── すべてが たいせつなのだ」
やがてぐんじは、じぶんの ざいさん をつかって、こわれかけた おみどう を たてなおしました。そして、
このばしょを『公田山乗明院 魚遊寺(くでんさん じょうみょういん ぎょゆうじ)』と よぶようになったのです。
第7章 そして いまも
それから なんねん、なんじゅうねん──そして なんびゃくねん が すぎました。
いまでも、魚遊寺には、しずかな ほり が のこされています。
いまでも、はすのしたには、さかながげんきで およいでいます。そして、 はすの花が しずかに水面にうかび、やさしい いのち を つたえています。
この ほりの水は、ようすいろ と つながり、四季のうつろいとともに 魚遊寺のくらしを そっと ささえています。
はな が さき、みず が ながれ、こころ が おちつく。
それが、魚遊寺の いま に つづく ものがたり です。
(しめの言葉)
さわがしく くらすよりも、しずかに いのることの たいせつさ──
ほり の ながれ も、はす の かがやき も、ほとけ の こころ。
おゆになったほり。その ものがたりが 教えてくれること。
