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仏教のお話

仏教のお話
仏教の教えは、日々の暮らしの中に静かに息づいています。
このページでは、お釈迦様や天台宗の教えを通じて、心を見つめるひとときをご一緒に紡いでまいります。
お釈迦様について
お釈迦様は、いまからおよそ2,500年前、インドの北部にお生まれになりました。王子として豊かに育てられながらも、人の世に避けがたい「老い・病・死」の苦しみを目の当たりにされ、生きる意味を深く求めて出家されました。
長い修行ののち、菩提樹のもとで深い目覚めを得られたお釈迦様は、この世のすべてのものは常に移り変わり、私たちの苦しみの多くはその変化に執着する心から生まれると説かれました。
仏教の教えは、お釈迦様が体得されたその「気づき」から始まりました。何か特別な力にすがるのではなく、自らの心を見つめ、日々を丁寧に生きることの中に、穏やかさや慈しみが育まれていく——そのような道を、私たちに示してくださったのです。
天台宗について
天台宗は、奈良時代の終わりから平安時代初めにかけて、最澄上人によって開かれた仏教の宗派です。最澄上人は唐(現在の中国)で学び、比叡山に帰国後、誰もが仏の心を持ち、修行によって悟りに至ることができるという「一乗(いちじょう)の教え」を日本に伝えました。
天台宗の中心には、「法華経」の教えがあります。そこには、一人ひとりの命に仏性(ぶっしょう)=仏となる可能性が備わっているという深いまなざしがあります。すべての人が等しく尊く、また互いに関わり合って生きているという思いが、その教えの根底にあります。
また天台宗では、坐禅や念仏、読経など、さまざまな修行を偏りなく実践する「円融(えんゆう)」の精神を大切にしています。形式や方法にとらわれず、心の根本を見つめることで、日々の暮らしの中にも仏の道があることを気づかせてくれます。
天台宗の教えは、特別な人だけのものではなく、私たち一人ひとりの歩みに静かに寄り添い、仏の心を今ここに育んでいく道なのです。
伝教大師(でんぎょうだいし)とは
伝教大師(でんぎょうだいし)とは、最澄(さいちょう)というお名前で知られる、日本天台宗の開祖です。
平安時代初期、比叡山延暦寺を開かれ、日本仏教の礎を築いた高僧として、今も深く敬われています。
最澄は、唐(中国)に渡って天台の教えを学び、日本に持ち帰りました。
その教えは、「一隅を照らす」「すべての人に仏性(ぶっしょう=仏となる可能性)がある」といった、平等で開かれた仏教観を重んじています。
また、最澄は単に宗派を広めたのみならず、後に多くの高僧(空海、法然、親鸞、道元、日蓮など)に影響を与える思想的な土台を築きました。
そのため、日本仏教の祖とも呼ばれ、宗派を超えて尊敬を集めています。
「伝教大師」は、最澄が亡くなった後に朝廷から贈られた尊称であり、その徳と功績に対する敬意のあらわれです。
慈覚大師 円仁(じかくだいし えんにん)とは
慈覚大師(じかくだいし)とは、
平安時代の天台宗の高僧・円仁(えんにん)の尊称です。
伝教大師 最澄の教えを受け継ぎ、天台宗をより深く、広く発展させたことで知られています。
最澄が入滅した後、円仁はさらに教えを深めるため、遣唐使として唐(中国)に渡り、天台密教・戒律・浄土教など幅広い仏教の学びを得ました。
その留学記である『入唐求法巡礼行記』は、当時の中国や仏教の様子を伝える歴史的にも貴重な記録です。
帰国後は、比叡山延暦寺の座主(ざす=最高位の僧)となり、最澄の教えに基づきつつ、密教的な修法(護摩・灌頂など)を加えて**「円仁流天台密教」**を確立しました。
また、東北地方に多くの寺院や仏教文化を広めたことから、「東北仏教の祖」とも呼ばれています。
慈覚大師という号は、その功績と徳に対して後に朝廷から贈られたものです。
山家学生式
天台法華宗年分学生式一首
伝教大師のたまわく
国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、
道心有るの人を名けて国宝と為す。
故に古人の言く、径寸十枚是れ国宝に非ず、
一隅を照らす此れ則ち国宝なりと。
古哲又云く、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり。
能く行いて言うこと能わざるは国の用なり。
能く行い能く言うは国の宝なり。
三品の内唯言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊と為すと、
乃ち道心有るの佛子を、西には菩薩と称し、東には君子と号す。
悪事を己に向え、好事を 他に與え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。云々。
「伝教大師が仰せられたには、『国の宝とは何か。それは道心(みちこころ=仏道に向かう心)である』」と教えています。
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